ベトナムってどうなん?

ベトナム人と家庭を築きながらベトナムを考える

ベトナム人の乗り降りについて思うこと

子どものときから親と一緒に電車に乗るときは「降りる人が先」という風に教わってきたので、たとえ降りる人が一人しかいない場合でもとりあえず降りる人が誰もいなくなるまで待つのが自然となっている私。てか大半の日本人はそんな感じじゃないかと思います。で、ベトナムではまだ日常で列車に乗ることはありませんので、普段そういう場面に出くわすとしたらバスやエレベータの乗降時ということになります。

f:id:dtbh:20180410114537j:plain

例えば満員のエレベーターの場合、人が出るまで自分は物理的に乗り込むことができません。なので自然と「降りる人が先」の形ができます。しかし混んでいないエレベーターで、降りる人も1人2人程度の場合、待たずに乗り込んでくる人もいることもしばしば。年配の人ほどその傾向が強いように思います。小さい子どもがエレベーターに乗り込むときに、混んでいようが混んでいまいが我先に乗り込もうとする光景はこちらでは当たり前ですが、同伴の親の躾が見事に表れている場面かと思われます。

 

私が勤めている会社が入っているビルは外資系企業が多く入っていることもあり、そこで働いているベトナム人はそれなりに「ちゃんと」している人が多い印象。もちろんベトナム人としての習慣的な部分で閉口させられることは時々ありますが、まあ普通の日本人でも十分許容範囲であるかと。

一方私が住んでいるマンションは種々雑多なベトナム人が住んでいますので、会社と比べてローカル色がかなり濃くなります。なのでエレベーターで私がストレスを感じる機会も多くなりますが、個人的に子どものエレベーターの乗り方についてもっと注意したいところです。ただ同伴の親がそうだから仕方がないと諦めている現状。。。

 

あるブログで「ベトナム人の子どもは猿」と吐き捨てている記事がありました。猿という表現が適切かどうかはともかく、私も部分的には賛成できます。まあ付け加えるならベトナム人であろうが何人であろうが、躾がされていない子どもはしっかり躾がされている子どもよりも、より動物的といった感じですかね?

子どもは自分の感情に素直ですから、「したいこと、いやなこと」に沿って忠実に行動します。それを社会的に許されるかどうかを判断して自制できるかは親や社会での躾次第なのかと。たとえ傍若無人に振る舞っている子どもがいたとしても、その場にいる親がどういう対応をしているのかによって周りの大人の心証も変わってくるものです。

 

「日本でも昔は~」なんて言う意見もありますが、同じ時間軸の時代で比較すると日本よりベトナムのほうが動物的な子どもがより多いのは確かです。